今日は競走馬(サラブレッド)の話です。
- サラブレッドには走りたい気持ちがあるのか?
- それとも走らざるを得ないから走っているのか?
少なくとも言えることは、競走馬になるために産まれてきている時点で、進む道は決まっているということです。
運命が決められています。
競馬の基本と言えば「馬を競わせること」です。
馬を競わせるという競馬の原点は有史の頃から行われてきたと言われています。
歴史的な話はまたしますが、馬を競わせるということはかなり昔からあります。
そこから近代競馬が始まり、現在に繋がるのですが、競走馬たちはどんな気持ちで走っているのでしょうか。
▲記事の内容
サラブレッドはなぜ競走馬になって走るのだろうか?
競走馬になるために年間約7,000頭ほどのサラブレッドが誕生し、そこから競走馬になるための訓練を受け、競走馬になります。
もちろん7,000頭全てのサラブレッドが競走馬になれるわけではありません。
サラブレッドは産まれ落ちたその瞬間から、文字通り命を賭けた人生が始まります。
競走馬になれなければ死に、競走馬になれても活躍できなければ死ぬ。
死と隣り合わせです。
死と隣り合わせなのはサラブレッドだけではありませんが、犬猫の殺処分数は公表されるのに、馬の屠殺数が公表されないのはなぜ?という疑問があります。
でもサラブレッドはそんなことを知ることもなく、流れのままに人生を歩みます。
そんなサラブレッドの気持ちを私たちが知ることはできませんが、もし、サラブレッド自身が産まれ落ちて自分が競走馬になる運命にあることをもし知ることができたなら、どう思うでしょう?
そして競走馬になれた時
- 達成感を感じるのか?
- 走るのを楽しんでいるのか?
- レースに出走するための調教(訓練)は辛いのか?
- 楽しいのか?
- 目標に向かって進んでいるという気持ちがあるのだろうか?
こんなことを考えたりしたことが今まで何度かあります。
馬の気持ちを、いや、意思を分かることができないからこそ、自分で勝手に想像しています。
マキバオーのように分かったら面白いんですけどね。
ただ、馬の意思が分からなくても確実に言えることは、競走馬は命を賭けて走らなければならない運命にあるということです。
人間は平和
そう考えると、人間って平和ですよね。
運命が決められているわけでもなく、失敗しても殺されることもありません。
理由は競走馬は完全実力社会だが、勝てなくても活躍できる2つのパターンとはを読んでいただきたいです。
基本的にはやりたいことをやりたいようにやれます。
自由です。
でも、自分のやりたいことを自由にやって生きている人はどれだけいるでしょう?
やりたいことをやって生きていくのってとても大変です。
自分のやりたいことをやって生きていきたい、なんとなく働いている方には競走馬は走るのが仕事。では人間は何を目的に働いているのだろうか?を読んでいただきたいです。
子供の頃は夢があっても、大人になると消えちゃってませんか?
いや、消えていなくても世の中の現実を見るようになり、その夢に向かわなくなりませんか?
ちょっとしたやりたいこととかなんでもいいですけど、私たちは競走馬とは違って基本的に自由に選択できます。
失敗したって、命まで奪われることなんてないんです。
そもそも何かにチャレンジすれば、必ず失敗するので
- そこから学んで次に活かす
こんな当たり前のことも実際に行動に移し、継続するのは大変です。
私たちは競走馬とは違うんです。
違うんですけど、私たち人間も一度の自分の人生を必死に走っています。
何かにチャレンジする時、競走馬のことを思い出し、命まで奪われることはない!と思って行動してみるのも悪くないかもしれません。
一度の人生なんだから。
競馬やサラブレッドに少しでも興味を抱いた方は、是非競馬歴20年超の僕がオススメする競馬漫画ベスト3!!漫画から競馬へ!をご覧ください。
合わせて犬猫の殺処分数は公表されるのに、馬の屠殺数が公表されないのはなぜ?を競馬を知っている人にも知らない人にも読んでほしいです。