こんばんは♪
最近「100日後に死ぬワニ」がなんか話題になっていましたね。
nlab.itmedia.co.jp私は一度も見たことがないですが(;´_ゝ`)(笑)
ただ、もし競走馬や人が「100日後に死ぬ」ということが決まっていたとして、その事実を知っていたらどうするだろう❓️なんてことを考えてしまいました。
人より競走馬の方が寿命は短いですし、競走成績などで命を奪われるかどうかが変わってきますが、もし死ぬことが分かっていたら…
競走馬の場合
もし競走馬が自分の死を認識できるとして、100日後に必ず死ぬと分かっていたらどうするでしょう❓️
- 特に動じない
- 怖くて走ることができない
- 暴れまくる
- 100日後を迎えるのが怖くて自殺する
まぁ色々なパターンが考えられます。
100日後に死ぬということを知った直後はビビるかもしれませんし、ショックを受けるかもしれませんが、時間が経てば受け入れて冷静になるかもしれません。
競走馬にもそれぞれ個性があるので。
メンタルが強い馬もいれば弱い馬もいますし、極度に物音に弱い馬もいます。
どんな反応をするかは一概には言えません。
でもどうせ100日後に死ぬのだから自由に生きたい❗️なんて思うのかもしれません。
- 「もう人間の言いなりになるのは嫌だ❗️」
なんて思って自由に生きようと脱走を試みるかもしれません。
でも人間に捕まって連れ戻されて…
暴れたり変な動きをして競走能力に悪影響が出てしまえばその時点で殺されてしまう可能性もあります。
そうなれば100日目を迎える前に死ぬことになるかもしれません。
まぁどうせ死ぬのだからそれでもいい❗️のかもしれませんが(-_-;)
常に死と隣り合わせといっても過言ではない競走馬の世界では、余計な動きをせず、普段通りに暮らすことが大切なのかもしれません。
そうすればとりあえず100日後までは生きられるので。
ん~、難しいですね(。-∀-)
人間の場合
人間の場合もまぁ競走馬の場合と大差はないかもしれません。
- 怖くて病む
- 自暴自棄になって罪を犯しまくる
- 罪は犯さないけどとにかくやりたいことをやる
- 100日目が怖くて自殺する
色々な可能性があります。
私なら…
- 「100日後に死ぬ~❓️何言ってんの❓️」
…なんだかんだ事情を説明されて…
- 「マジ❓️❗️」
…
そしてまぁあれこれ考えます。
最初の数日は実感がないでしょうが、日が経つに連れて普段とは時間が過ぎる感覚が変わるでしょう。
普段はなんとなく過ごしている時間の大切さを痛感するでしょう。
93日目ともなれば、もう残り1週間です。
1分1秒を噛み締めながら生きるでしょう。
そして後悔します。
- 「あの時、勇気を出してチャレンジしておけばよかった」
- 「時間をもっと有効に使えばよかった」
- 「まだまだやりたいことあったのにな」
などなど。
仮に100日経つ前に自殺して自ら命を断ったとしても、時間の大切さを痛感するのは間違いないです。
馬も人もいつか死ぬことは分かっていても、いつ死ぬかは分かりません。
だから人は時間の大切さを見逃しがちです。
それが「死」というゴールが明確になれば、嫌でも時間の重みを、大切さを痛感します。
毎日を最期の日のように考えて生きる意味はあるのか?
時間の大切さを認識して日々を生きるために
- 毎日を最期の日のように考えて生きる
という考え方を聞いたことがある方もいるかもしれません。
瞑想などをしながら「今日が最期の日」だと考え、時間の大切さを意識して1分1秒を意識して生きるようにするというものです。
そして日々の無駄な行動を省き、人生を向上させていく感じです。
でも冷静に考えて、もし、今日が最期の日だったとしたら、もう好き放題やりたいことをやりません❓️
だって死ぬんですよ❓️
今日で死ぬのに日々の無駄を省いて時間を有効に使って人生を良くしようなんて考えませんよね(。-∀-)
それとよく
- 今日死ぬとしたら最期に何が食べたいか
的な話がありますよね。
まぁ最後の晩餐的なものです。
これも冷静に考えたら、今日死ぬのに食欲なんて出ませんよね(笑)
もちろん、逆に死ぬことを受け入れて割り切って好きなものを好きなだけ食べるという人もいるかもしれませんが(・。・)
最後に
時間の大切さを意識して日々を生きるという意味では、死ぬ日が分かっているというのは使えるのかもしれません。
でも死ぬ日が分かってたらやっぱり日々の生活に支障が出るでしょうし、「死」というゴールはボヤけて不明確な方が良さそうです(^-^)
ただ、自分の人生は時間の使い方で決まるというのは間違いないので、時間を意識して過ごすということは必須です。
死ぬ直前に後悔しないよう、日々を全力で生きましょう❗️